いつもの時間に出かけようとしたら雨が降って居たので、止むのを待って出かけました。
今年は、天気の予報が難しいのか予報が予報でないことが多いです。
市内は降って居るところが有ります。雲から垂れ下がって見えるところは雨が降って居ます。
昨日は、長崎原爆の日。すでに64年が経ち被爆者の平均年齢も80歳を超えました。
私は、昭和20年8月3日生まれ。私の持つ被爆者健康手帳には、被爆時の年齢0歳、被爆場所爆心地より4.6km長崎市丸山町としてあります。
すでに父母は亡く、生まれた状況を語ってくれる人も有りませんが、丸山町の自宅の裏の防空壕の中で生まれ、8月9日から一週間後に家族全員で、浦上の爆心地を徒歩で通って、佐賀方面に疎開したそうです。
父は、当時三菱の工場に勤務していたらしく、翌日10日には、浦上の工場に同僚を捜しに行ったそうです。当時のことを父は何の話もしませんでしたが、口に出すことも嫌だったのでしょう。
前長崎市長の伊藤一長氏の「人間は、一体何をしているのか。」が彼の最後の平和宣言でした。被爆者は多くを語ろうとしません。今の時代は語れば語るほど、語ることが無為に感じられる時代になったように思われます。
ただ願いはあります。全国に約24万人(平成20年度末)の被爆者が居られます。全ての被爆者の願いは、「ノーモア広島・長崎、ノーモア被爆者」であり、全人類の願いでもあります。
又来年も、長崎原爆の日は訪れます。
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